すいません、杉山氏のタイトルを引用w
(杉山氏のコラム)
シリア戦大勝に隠れた病巣。日本はなぜ格下に「撃ち合い」を演じるのか
正直、杉山氏のコメントには普段からそれほど共感していないというか、こちらの知識や知見のレベルが低いのか、読んでいても「何について怒っているの?」みたいな感じで理解できないことが多いんですが、今回のコラムについては「その通りぃ~^^」と納得した次第です。
「絶対に負けられない戦いがある!」
「気合入れていこうぜ!」
「絶対勝つぞ!」
などと、叫びまくることは、どうぞご勝手に。
でも・・・
「絶対に負けられない戦いがある!」
「気合入れていこうぜ!」
「絶対勝つぞ!」
といった叫びと、自陣のブロックを崩してまで、みんなでゴールに殺到することがイコールではない、ということなんです。
非常に青ざめるような光景だったと思います。
(これまでも同様のことはありましたが)
これは何を言っているか、というと「ひょっとしてこの人達はサッカーという“競技”スポーツのことを本質的に理解していないのではないか?」という仮説が頭に浮かんできたからです。
サッカーは野球などと違って、守りと攻めは絶対に分離することはできません。
常に攻めは守りに転じる可能性をもちながら時間が進む競技です。
イコールではないですが、プロの試合で、どんなに攻め続けているチームでも、ボールポゼッションは8割を超えることはまず無いんじゃないでしょうか。これは逆にみると、どんな強豪でも3割は逆襲される可能性をはらみながら時間が進むわけです。
いかにこのリスクを管理しながら、最終目的である勝利にたどり着くか。
これが抜けてしまっている、という事実!
しかも日本の最高峰であるはずの集団で!
10点取ろうとしているかのように敵陣に殺到!
味方同士でスペースの潰し合い。
で、それをやった前半で取れたのは1点のみ。
個々人の身体はキレキレだっただけに、そのコントラストが・・・。
けっして「守備的にやれ」とか「守備を重視しろ」などと言うつもりはありません。
サッカーは攻め続けるべきだと思います。
子どもたちには、こんなふうに伝えています。
「いつでもボールが奪える準備はできていますか?」
ボールを奪える準備だけしておけ、それだけです。
自分でやれ、ともいいません。
みんなで備えればいい。
ボールさえ奪えれば
さざなみのように、繰り返し繰り返し、相手陣にせまる。
跳ね返されても跳ね返されてもさざなみのように。
時々、勝負の時がやってきて、仕掛けることで、ポジションのバランスが崩れたり、穴が空いてしまうこともありますが、相手と同じ人数でやっている以上は、どうしても勝負しなければ得点まで辿りつけない時はあります。
予想通り反撃を喰らう可能性も高くなりますが、全員で殺到するようなことをしていなければ、リスクに対処できて、また新たに波を起こしていけます。
守備的なのではなく、あくまで攻めるための備えなんです。
別の視点になりますが。
精神論をどう取り扱うか?
いや、必要なんです、精神や感情は。
でも「絶対勝つぞ!」というと、みんなでゴール前に殺到してしまう。
それって違うよね。
だから精神論を持ち出しにくかったりします。
あと精神論や感情も、かならず落とし穴につながります。
(たとえば、判定に怒り狂って、プレーを忘れる・・・)
熱い気持ちを持って、でも淡々と淡々と、さざなみのようにやれること、やるべきことを繰り返す。
目的に向かってチームで力を合わせて、淡々と淡々と。
たとえば昨年末のサンフレッチェ広島、こんな感じでした。
クラブ選手権など、あきらかに身体能力が上の相手に、細っこくてちっさい日本人たちが、やれること、やるべきことを繰り返す。
いいサッカーやっているなぁ~、と思った次第です。
ああ、長くなってしまいましたが
ようするに“いいサッカー”をみたいなぁ~^^
というお話でしたw